アラサ―日記

思い出と記憶と記録

春の風物詩

でたよ社長の新人いびり

見てて本当に気分悪い
自分がされてた時のことを思い出す

お客様の名前を間違って聞き取ると怒る
それが無いようにお客様に確認すると怒る
他の人のメモを読み違うと怒る

社会人6日目でここまでできれば上等でしょう
なぜないものねだりばかりするの
気分悪い

毎年この時期になるとこうなる
新人がいなくてもこうなる

朝礼で一人ターゲットを決めて
皆の前でいびり
工場内を練り歩いて粗を探して職人に怒鳴り
そのテンションで事務所に戻っては
ねちねちねちねちと上げ足ばかり取る

ずっとイライラしてるから自分自身の仕事も進まず
またイライラ
あほなんかな


こっちまでストレス
仕事しに来てるんだから仕事以外の事させないでほしい

この人の下で働いていると思うと本当に情けない

やっぱり辞めようかなあ

PMSしんどい

PMSしんどい


今日は朝からしんどい
メンタルがしんどい

朝起きたときに彼氏に「今日のごはんなにがいい?」と聞くと
めちゃめちゃ不機嫌になられて

もう、今日は終了。


彼氏に期待しちゃいけないのに
なんであんなこと聞いたんだろ


普通だったら誰が聞いても彼氏が悪いのに
「寝起き悪いのに話しかけて悪かったな」とか思うあたり
カサンドラの入口だなって思った


週末、一回実家に帰ろう
リセットが必要だ

飲み仲間のはなし

私には行きつけの居酒屋がある。

 

駅前の小さな繁華街の中で、
多分一番汚い店

趣があるというか、クセが強いというか、
アニメで見た駄菓子屋と
ドラマで見たサラリーマンが安いビールを煽っている背景と
どこかのバラエティー番組で見た場末のスナックを

ごちゃまぜにしたみたいな立ち飲み居酒屋

 

お店の前を通る人は必ず一度のぞき込むけど
勇気が出なくて諦める、みたいな店

そこが私が私らしく居られる場所


気が向いたときに一人で行って
そこにたまたま居たほかの常連としゃべる
80代のおばあちゃん、60代の大学教授
50代のお坊さんに、40代のサラリーマン、
大企業の社長、資産家、同世代の男の子…

ギャルお姉さんことあやのさんもその一人

酒の勢いで仲良くなって次の店になだれ込んで
最近あったことを話したり
趣味や家族のことを話したり
悩みを相談して大人の意見をもらったり

お店が忙しければカウンターの中に入って
接客しながら皿を洗ったりドリンクを作ったりもする

お店自体も癖の強いものをごちゃ混ぜにしたみたいだけど、
常連客もいろんな人がごちゃまぜになっていて
人間って本当に十人十色なんだと思えて
自分は自分でいていいんだと安心する

自分の無駄に愛想のいいところも
感情が激しいところもコンプレックスだったけれど
だれもそれを「普通からはみ出してる」とは思いもしない

そのくらいみんなはみ出し者だからすごく居心地がいい

 

学校とは人の形を奪う場所だと思う

今でも納得できないこと


中学の時、私の学力は中の下~下の上

勉強する気になれなかったし
勉強する意味も分からなかった

毎日の宿題はどうせしないし提出もしてなかったし
義務教育をいいことに授業は9割寝ていた

心の底から勉強する気が無かった

体育や音楽や美術は感覚を身に着けるという意味では価値があると思ったし
それが今生かされている仕事についているし
無知すぎると思われない程度には教養はあるつもりなので
「それってなんですか?」と質問することはいいコミュニケーションツールだと思っている
本当に心の底から勉強しなかったことを後悔はしていない

数学や社会は当時からPCや携帯電話は存在したし
授業で「こういうものがある」とだけ認識しておけば
将来困った時に検索をすればいいと思っていたし
今でもそう思っている

そんな私を横目に、いつも必死で勉強をしている友人がいた
国語数学理科英語社会音楽体育美術技術・・・

「どうしていつもそんなに頑張っているの?」と聞くと
「悪い点数を取るとお母さんが悲しむから」と言った

「良い高校に入ってお母さんを喜ばせたい」
「いい大学に入りたい」「お母さんがお母さんが」

彼女のその理屈は今でも理解できないし、正しいとも思えない

けれどみんな意味も目的もなく勉強する
やりたいことや好きなことを無視して勉強をする

絶対に違うと思う

でもどれだけ話しても私と同じ意見の友達は居なくて
みんな必死に「いい学校」に行こうと頑張ってた


私はモノ作りが好きだし絵が好きだ
作り手の感情を考察したり理解するのが好きだった
だからデザイン科に入った
いまはデザインの仕事をしている


そういう感覚よりも
無暗に好きでもない勉強して進学して結果興味のない仕事をしている人が多く
結果「ブラック企業だ」とか「過労だ残業だ」とか
楽しくないことをしている人が多すぎると大人になった今感じる


学校という場所は決まった形に人を押し込める箱のようなものだから
押し込められることに反発したひと
押し込めてもはみ出してしまうものは
変・おかしいと異物を見る目でみるが
将来その「自分が正しい」と思っていた人達の大部分が苦労するようにできていてとても奇妙に感じる

ギャルお姉さん

なかよしの飲み仲間「ギャルお姉さん」ことあやのさん

飲み仲間たちの話はまた今度にして、
あやのさんは私の身近な頼れるお姉さんだ

私が今26歳
あやのさんが32歳

若干の歳の差はあれど、そんなの関係なしに酒のつまみに深夜までコイバナをする

いまでこそ仲良しで、
いろいろと気にかけたりいろんなお話をしてくれるが、
最初の頃は酷かった

ものすごくいじめられた(本人が認めてる)

沢山無視されたし、ありえないほど飲まされたし
何度も心が折れかけた

それでなぜいま仲良しかと言うと、
私が諦めなかったから

無視されても無視しきれないくらい話しかけたし
絶対に笑顔を絶やさずに積極的にコミュニケーションをとろうとした。
「あやのさんがどう思ってるかは分かりませんが、わたしはあやのさんのこと好きですからね!」って
言葉も態度も崩さなかった

全力でしっぽを振っている犬を蹴り上げるような人なら、そもそも私が仲良くできない。
じゃあ蹴り上げられるまで頑張ってみようと思った。

なぜかあやのさんにはそう思わせるほどの魅力がある。

結果、大イビリの末、
いつの間にか私の存在を認めてもらえた

今でも「あんなに大嫌いだったんに今だいすきなの不思議だな~」って言われるから
「わたしの粘り勝ちですよ」って言ってる


アパレルの店員さんで、SNS活動もがんばっていて
2児の母ですごく子供思いで
人と会話するときは必ず口角が上がる

人の話はちゃんと聞いて
感情移入ができるけど、まっすぐ芯が通ってかわいいしかっこいい
「あやのさんの子供に生まれたかった」が私の口癖

諦めないということ

諦めないということは、とても苦しい

 

この性格のせいで

別れた元カレに4年片思いして3回振られたし

7歳年上のギャルお姉さん達にたくさんいじめられた

10代のうちに趣味に200万以上つぎ込んだし

仕事で心も病んだ

 

しんどいことはいっぱいあったけれど

 

親身になって話を聞いてくれる友達ができて

ギャルお姉さんは今ではすごく頼れる存在になって

趣味友達とはなんでも話せる関係になって

仕事を通じていろんな人に一目置いてもらえた

 

「努力は実らないこともある」そのとおりだけれど

そのかわりにかけがえのない人たちと出会うことができた

 

だから私はこれからも

「これだ」と思ったものは諦められないんだと思う

努力は実らないこともあるが、その過程は無駄じゃない

私は小学1年生のころから剣道をしていた

家族が剣道一家だったから

 

さいころから家に竹刀が転がり

道教室に連れていかれた。

 

本格的に習い始めたのが小1で、気分的には生まれたときから剣道をさせられていた。

 

この話は後日するとして、

いろいろな金銭的な兼ね合いがあり、

大嫌いな剣道を中学でもすることになった

 

頭が悪かったので高校に進学する手段は剣道しかなかった

仕方なしに県内で一番強い高校に入学した。

 

高校1年の時の部長は

体も態度も大きくてものすごく強くて、

心がとても繊細なひとだった。

 

彼女に出会ってなかったら

私はもう少し緩い性格になっていたかもしれないが

彼女のおかげで「気配り目配り心配り」がしっかりと身についた

 

彼女が校内紙に作文を発表した際

「努力は実らないこともあるが、その過程は無駄じゃない」

そう書いていた

 

この言葉が10年経ったいまでも深く深く沁みついて離れない

 

私は正直弱かった

彼女みたいに強くなりたかった

 

けれどその彼女ですら叶わない人が世界には沢山いて

私よりもずっとずっと強い彼女が言ったその言葉は

「これから先、何をしても満足することはないだろう。でもその努力は別のなにかになって還ってくるよ」と私は解釈した

 

これが「諦めない」わたしのはじまり